お茶碗を洗っている台所の窓の前に、バシッ！という音がして、写真に使うマグネシュウムの十倍位のものが光った。と思ううちにガラガラガラと天井が降ってきた。
　自分がどうなったか判らなかった。死ぬ！と思ったが物音が止んだとき息が出来た。しかしどうにも動けない。
　あゝこうして死ぬんだとあきらめた。気を失っていたのかもしれない。それ以上何も考えなかった。
　しばらくして「オーイ」という主人の声にはっとした。急に助かりたくなって「助けて！」と叫んだ。
　主人曰く「台所の屋根がばっさり落ちている下で声がするので、如何して助けようかと思った」と。とも角しばらくすると明るくなってきて手が出せて主人が引っ張ってくれる。手も足も動く様になったが体が動かない。大きな電気冷蔵庫の下敷きになっているのだ。勿論その上に柱や梁がひっかかっている。主人が棒の様な物を持って来て持ち上げるが棒の方が折れて了う。「もっと太い物でなければ駄目！」など私が勝手なことを言う。だがなかなかうまくいかない。「もう私にかまわず逃げて」と言おうと思った時に重い物が僅かに上がって、するすると出ることが出来た。
　やれやれと思って出て見て驚いた。私の家の前に爆弾が落ちたと思ったのに、見渡す限り、マッチ箱をひっくり返した様な景色で、所々が燃えている。主人はそれを見乍ら、道具もないのに太い棒を探すのにどんなに焦ったことだろう。
　幸いに手も足も折れてなくて、あちこちの出血も血が止まらないという程ではない。主人も同じ様なものである。新婚六ヶ月の二人であった。
　主人があらぬ方へ歩く。私は早く逃げよう逃げようと言って道へ出た。あとで聞くと主人は軍刀を探そうと思ったそうだ。ちなみに主人は海軍軍需監理部へ務める軍人だった。
　近所の奥様が土ほこりをかぶって逆立ちした髪で赤ちゃんを抱いて立って居られた。皮膚はちりめんの様である。丁度その時隣組で下駄の配給があって、外で分けておられたのだ。私には下駄が当たらなかったので屋内に居た。７月の末に住んでいた雑魚場町の家が家屋疎開となり、大手町八丁目の立石家にお世話になる事になったが、転居したばかりの者には、下駄の数が足りなくて当たらなかったのである。
　さて前日の８月５日夜は警戒の当番で、夜二、三度警戒警報が出て見回りをし、主人が６日朝は少しおそく出勤すると言ってまだ家に居たこと、食事をすませて火を消したあとだったことが幸いして二人とも命が助かった。
　ともかく川まで歩いて行くと、一人の少女が私共に手を合わせて「お母さんを助けて下さい」と言われる。みんなでお母さんを掘り出したが、足首がぐにゃぐにゃで歩けない。それを背負って歩いてあげる元気はなくて、川のそばに寝かしてあげて、そのまま川に沿って下流へ歩いた。もちろん裸足である。それ以上は助けてあげられなかったことが今も慚愧に耐えず、時々目に浮かぶとほぞを噛む思いに駆られる。
　この辺りはもう燃えていなかった。途中で少し燃えている橋を渡って海まで歩いた。のどがかわいて前夜冷蔵庫にいれたみかんの缶詰が瞼にチラチラする。胸がムカムカする。
　ようやく海岸まで辿りついて、無事だったよしず張りの小屋に入って一休みする。するとものすごい雨が降った。辺りは真っ暗になった。これでもかという様に警報が鳴ったが偵察だけで何も落とさなかった。下痢をしたのを憶えている。とにかく体がおかしかった。
　それからまた海岸に沿って歩いた。この辺りは家も壊れてなくて、一升びんを持って立ってて下さってる方からお水を頂いて、何と有難かったことか。また行くうちに何方かがモンペの入った手提げをくださった。わらじも拾って何がしかの財産が出来た。
　主人の知っている会社を頼って寄せて頂いた。そこではじめて鏡を見た。やはり髪の毛は逆立ちで、右目の白い所に血がにじんでいるが見えないわけではない。まゆ毛の辺りに怪我をしている。ひざに四センチ位の裂傷があり肉がえぐりとられているが血は止まっている。簡単に手当をしていただく。ここでおにぎりを頂き、一晩お世話になって翌日船で呉まで送って頂いた。何人か同じ様にお世話になった人達のお話に、日本の兵器の実験が間違って陸で爆発したのだと言う人や、原子爆弾という言葉もはじめて聞いた。
　そのあと放送で原子爆弾という発表を聞いた。
　さて呉に着いてもお金は無いし如何なるかと思ったら罹災証明書を駅で下さって汽車に乗せてくれた。
　松永(今の福山市)に親戚があるのでそこを尋ねて行く。ここでは私共の姿はかなり人目を引いた様で、やっと探し当てた親戚へ入ると、近所の方が、「何と今こじきが二人入って行ったが、ありゃ何ナ？」と言っておられたそうで、正にそういう風体であった。
　親類では驚いてすぐ疎開先の両親に知らせて下さり、お風呂を沸かして下さった。ホッとしたら急に膝が痛く感じられて思う様に動けない。ともかく、私共はやっと人心地がついた。
　それから四、五日して福山から北へ入り、上下という所へ行き親戚の二階にお世話になった。大阪の私の里では、岡山に居た弟が翌日探しに行き、どうしてもわからないと言うので、両親が骨を拾いに来る途中、上下へ行けば消息がわかるかと尋ねて来たので、両方の両親と無事を喜び合った。

　終戦を迎え８月末頃、やっと怪我も治った頃から二人とも体中に斑点が出来、髪の毛がばっさり抜け出した。
　主人は一度海軍の軍需監理部へあと始末に行かねば・・・と言って広島へ行ったが、帰る時は歯茎から出血しながら帰って来た。斑点と抜毛は原爆症で、みんなこれで死んで行くんだと教えられ、再び死を覚悟した。
　主人は間もなく発熱して寝込んだ。私は放射能の受け方が少なかったから、少しは元気で看病していた。とかくするうちに主人が呼吸困難になり、あわてて呼んだ医者は消毒する間もなくカンフルを打ち続け、親戚は皆集まった。四十本目くらいで少しらくになり、奇蹟的に危機を脱した。そのうち私も四、五日遅れて発病し寝込んでしまった。
　一人息子を何とか助けたいと両親は福山から原爆症を診た経験のある医者に往診を乞うた。そして皆この様な状態の人が死ぬと言われ、心から落胆した様だ。しかし柳父にも私の里にも親戚に医者が居て、輸血してみたら・・・ということになり沢山の方から貴重な血を頂いた。　私の親戚や知人は大阪から貨車に乗って上下まで来てくれた。帰りには福塩線が颱風で不通になり、お礼のお米や野菜をリュックに背負って二里も歩かされたそうである。
　皆様の御厚意のお陰で一年位してようやく元気になり、２１年７月に高槻に来て、主人は物理屋として研究室に戻ることが出来た。
　私共が上下町へ転がり込んだ頃、上下町から青年団の人達が広島へ後始末に行き、放射能を受けて帰られ、亡くなられる方が何人かあって、私共が生き残ったのが申し訳ない気がした。

　亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りすると共に、命を無駄にしないで、何とか何かのお役に立つ様に生きたいものと願い、現在はボランテイアなどしています。

　　１９９９年１２月２６日